やりたい事つめ込みました。高知の山奥、牛と触れあえる農家民泊「レーベン」の開業物語。

農家民宿、牛を飼って乳製品やお肉の自給自足、有機栽培で野菜づくり、そして炭焼き…。

「田舎暮らし」と聞いて連想する、おそらくほとんどのことを実現されてきた、とてもおもしろい生き方をされている方が大豊町にいます。

しかも、本場スイスで農業を学んだ経験もあるんだとか!!

かなり気になりますね・・・!

ということで、今回は田舎暮らしの大先輩である渡辺則夫さんにお話をお伺いしました。

「どうすれば理想の田舎暮らしは実現できる?」

「田舎で自分の事業ってどうやってつくるの?」

など、田舎暮らしを満喫する秘訣を教わってきましたので、田舎暮らししてみたい!という方はぜひご覧ください!

農家民宿「レーベン」は自分のやりたい!を詰め込んだ場所

渡辺 則夫(わたなべ のりお)さん

高知県大豊町出身。幼い頃から父の影響で農業に興味を持ち、学生時代には農業を学んだ。卒業後スイスへ渡り、その経験を活かし1987年には喫茶軽食「レーベン」を開業。2011年には農家民宿のログハウスをオープン。
ジャージー牛を飼育して、そのミルクを使ったチーズ製造販売、和牛の飼育、有機トマトの栽培なども手がける。過去には大豊町の町会議員を務めたことも。町長選挙の出馬経験もあり。

実家が酪農を営んでいた

引用:農家民宿レーベンHP

ーーー渡辺さんはもともと大豊町のご出身ということで、まずは幼少の頃の話を教えて頂けますか?

自分自身が幼い頃から実家で酪農を営んでおり、牛は身近な存在でした。

私が5歳の頃から自宅周辺で乳牛を飼っていて、今住んでいる梶が森の中腹には田んぼがたくさんありました。

その頃は、今のように車が通れるような道もなかったので、背負い子で稲や道具など必要なものを背負って、田んぼへ往復1時間ほど山道を歩き、稲作など農作業をしていました。

ーーー本当にその時代の農林業は大変だっただろうなと思います。農業はどこかで学ばれたのですか?

中学校を出てから、普通高校の受験を受けたのですが、失敗し、仕方なく農業高校へ進学が決まりました。

実際に入ってみると、農業は休みも自由にとれるし、自分には合っていると思って、高校を出てすぐに実家へ戻り、3年間働きました。

しかし、実際は百姓の暮らしは忙しくて、そのわりに稼げないし、「学生時代に学んでいたこととはまったく違う」というギャップを突き付けられました。

だけれども、まわりは自分とはまったく違う暮らしで、少し劣等感を感じることもあり…。

「農業はなぜ儲からないか」「農業とは何か」を突き詰めたいと思い、また勉強をするために、進学をする決意をしました。

ーーーすごいですね…!その結論は出たのですか?

その後、寮費、学費が不要で、食費も公費から出していただける「農業者大学校」へ3年間通いました。

東大やトップクラスの講師陣から農業に関する座学をたくさん学び、派遣実習を通していろんなことを経験しました。

この学生時代に、農業においても、お金を儲けることを第一に考えるとか、効率だけではないやり方を見出すとか、いろんな考え方があることを学び、自分のこれからの農業との関わり方がみえてきました

ーーーそれは具体的にいうと?

農業の魅力は、花や木などの自然に囲まれ、心豊かに過ごしながら働くことができることなんだと確信を得ました。

農家民宿「レーベン」の放牧場
引用:農家民宿レーベンHP

ーーーなるほど。お金を稼ぐことは確かに大事だけど、目的がそれだけになると心が疲弊してしまいますもんね。卒業後はどうされたのですか?

幼い頃から抱いていた、スイスに行くという夢を叶えるために、スイスへ1年間研修生として渡航しました。

スイスでは、農家を3軒ほど巡りました。

そこで、日本では田んぼで稲作をするように、スイスでは牛を飼うことを知り、「日本でもスイスのような場所をつくりたい」と思い帰国しました。

移住者のような気持ちで大豊町にUターン

引用:農家民宿レーベンHP

ーーーなるほど…!それで、地元の大豊を選んで帰ってこられたのですね。

地元だからここにする!という想いがあったわけではなく、他の選択肢も視野にいれて、住む場所を探していました。

同じ大豊町内の別の場所や、徳島県でも探していました。

共通していたのは、牛が放牧しやすい環境として、地形がゆるやかで標高が高い場所です。

そんなこともあって、Uターンではありますが、Iターンのような気持ちでいます。

ーーー地元の方でもそういう風に考えておられることがあるとは意外なお話です…!

はじまりは1987年に喫茶軽食「レーベン」

ーーー続いて「日本でもスイスのような場所をつくりたい」と大豊に戻って来てから、レーベンを始めるまでの話を教えてもらえますか?

実は、いま農家民宿レーベンの位置する、梶が森の中腹にある場所は、自分が子どもの頃から田んぼで稲作をするために歩いて通ってた場所です。

当時は車が通れるような道はなかったのですが、やがて梶が森の山頂のほうまでに道がつくようになり、観光客が増えてきた時期がありました。

山頂のほうなので、景色もきれいにみえるし、このロケーションを活かして、観光客の方に楽しんでもらえるような産業をつくれないかなと思い、1987年に喫茶軽食「レーベン」をオープンさせたのが始まりです。

標高800mから望む風景

ーー観光をしにこられる方が当時はたくさんいらっしゃったのですね…!

そうなんです。

香川県から登山などを楽しみにこられる方が多かったですね。

梶が森という場所は、今のJR土讃線を降りてすぐに登れるという好立地だったことから、人気の観光スポットでした。

ここより少し上にある「龍王の滝」が日本の滝100選に選ばれたり、「山荘梶が森」のオープンなども重なり、牧場を通過している道が渋滞したこともあったんですよ。

私たちはその半年後くらいに、ここをオープンさせました。

ーーー当時は農家民宿ではなかったんですね。喫茶軽食レーベンではどんなメニューを出されていたのですか?

当時も牛を飼っていたので、ここで絞ったミルクを出したり、あとはコーヒーを出していました。

そのほかにも、自分のところのお肉を使ったBBQなんかも振る舞っていましたね。

今も牛を飼っている。牛舎で撮影。

ーーーお話を聞いていると、順風満帆なように聞こえますが、苦労されたことはありますか?

喫茶軽食レーベンをオープンしてから、5年くらい経ったころかな。

ちょうどバブルの時期にあたり、みんなが海外旅行へ行き始めるようになりました。

それに伴い、山へ遊びに来る人も少なくなってしまいました。

ーーーそうか、バブル期にはそういう日本の観光業や飲食業への影響もあったんですね…

そうですね。

しかし、ちょうどその頃、すぐ下にある家の方が養鶏を営まれていて、マヨネーズの加工をされていたんです。

その事業が順調で、卵の生産量が追いつかず、ここでも養鶏をすることになったんです。妻が中心となって、10年くらいやっていました。

平飼いの有精卵ということで、とても人気で、多い時には1,000羽ほど飼っていました。

ーーー1,000羽!すごい数ですね。今は養鶏を事業としてはされていないようですが、いつまでされていたのでしょうか?

いつしか、平飼いの有精卵が高値で買い取ってもらえるという情報が広まり、参入する人も増え、競争が激しくなってきたんです。

その頃から、一緒に働いていた祖父母も高齢化で仕事をするのが大変になり、労力をかけられなくなってきたことから、養鶏からは一歩ひくことになりました。

「こういう生き方がしたい」を貫いた70年

寄り添う合う牛たちの姿に癒される
引用:農家民宿レーベンHP

ーーー本当になんでもされてきたんですね。そんな渡辺さんは、今後やりたいことはありますか?

いつ死んでも悔いはないと思って、やりたいことをやって生きてきました。

しかし70歳を過ぎて、いよいよ具体的なリミットとして、あと10年…などリアルな数字として見えてきました。

すると、またやりたいことがでてきたんですよね。

人の生き方に興味があるので、全国のいろんな人の生き方を訪ね歩きたいと思っています。いろんな人に生き方を直接見聞きし、その人やその地域だからこそできるアイデアや知恵、やり方を知って、最後を迎えたいと思っています。実はこれには新聞記者の友人も一緒にやろうと言ってくれていて、ゆくゆくは本も作れたらと思っています。

「したいことを、したいときにする」というのが自分の中でのモットーなので、早く実現したいですね。

ーーー素敵ですね。そう思うきっかけはあったのでしょうか?

私の好きな言葉に「汝の立つ処 深く掘れ そこに必ず 泉あり」というニーチェの言葉があります。

どんな場所でもそこの場所で生きていく知恵がある。

本当にそこで生きていくと決めたら、かならず生まれるもので、そこがいいと思ったら、そこで生きていくアイデアが湧いてくるものなんですよね。

他の方がそういう蓄積されたものを見聞きしたいなと思っています。

梶が森では樹氷を見られることもある
引用:農家民宿レーベンHP

ーーー農家民宿、農業、養蜂、炭焼きなど、ありとあらゆることをされてきた渡辺さんですが、仕事をつくる上で大事にしていることはありますか?

私は現在71歳になりますが、「こういう生き方をしたい」ということを貫いてきました

農業とは、何か作物をつくることだけをいうのではなく、自分が作ったものを形にして販売するまで、すべてが農業だと思っています。

今、一部事業の継承を考えていますが、ありのままのお金の話などをすると、「やっぱりいいです」と言う方もいらっしゃいます。

しかし、自分は、お金だけではなく、自然に囲まれ、心豊かに暮らせることを第一にしてきたので、条件は揃っているから、お金が欲しいのであれば、自分の頭で「どうすればお金を稼ぐことできるのか?」を考えてもらいたいんですよね。

その人に合った、その人が思う、自分の生き方を見つけていったらいいと思うんです。

私自身、やりたいことはやってきましたが、まだやりたいことがあるので、今の行なっているチーズづくりや牛の飼育事業は、やりたいと思う方がいれば継承したいと思っています。

渡辺さんが考える移住

引用:農家民宿レーベンHP

ーーそうですよね。実際やってみないとわからないこともあるからこそ、行動に移すことって大事だなと思います。

生きたいところで、したいことを、したいときにする」というのが私のモットーですが、これが人の幸せに直結すると思っています。

移住は、それを叶えてくれるもの。

何年後にこれをする!というのは、結局やらずに悔いが残ってしまうことにも、つながりますよね。

住みたい人が、住んでやりたいことを、やりたいようにやればいいんです。

自分の理想郷を作りたいと思って、農家民宿レーベンという枠だけではなく、行政区としても挑戦してみようと、結果は落選となってしまいましたが、町長選挙にも出馬したこともあります。

嶺北地域に移住は強制できることではないですが、自分自身がここでこういう暮らしをしたいな、やってみたい!というのが見えたら、やってみたらいいんだよと、ここに移住地を探して、遊びにきてくれる方々にも言っています。

ーーーまさに渡辺さん自身を表すお言葉ですね。実際に渡辺さんを通じて、移住を決められた方も多いのでは?

私は移住する人のお世話をしているということはなく、私は自分自身のためにやっているんです。

大豊町には80あまりの集落があって、だいたいどこも山の中腹に集落があるんですよね。

それぞれが国道から集落までの生活道があって、それを維持するためには、草刈りのできる若手の人が必要なのです。

そういう維持管理ができないと、その集落には住めなくなってしまうという事実があります。

人がきて住んでくれるということは、自分がそこに住み続けることができるという、まったく他人事ではなく、結局自分のことに繋がるんです。

そう思って、いつも移住希望の方にもお話をしています。

ーーーそうだったのですね。そういう視点がなかっただけに、とても大事な、今後どこの地方でも起こりうる話だなと感じました。嶺北地域がそれで消滅しないように、私も今できることをやろうと思います。今回は本当にありがとうございました!

人がいなくなると、集落は消滅する

農家民宿レーベンのすぐ近くに自生する「山芍薬」

大豊町は2021年3月時点で、人口が3,397人、そのうち65歳を超える高齢者の方は2,001名。(引用:まちのあらまし|大豊町役場

大豊町に遊びに行くと、こんなところに集落があるなんて!と驚くような山の傾斜地に住まれている方がいます。

確かに私たちの生活道は自然の一部を開拓してつくられたものなので、道の両脇には緑が生い茂っているところが多いのです。

そのため、年に数回「道づくり」という名称で草刈りが各地域で行われていますが、その名の通り、道脇の草を刈らないと藪になり、道がなくなっていくのです。

それを維持するには人手がいる

今、高齢化で担い手不足が叫ばれているからこそ「自分のために移住をしてもらうようなものだ」と渡辺さんが言われる、その言葉の重みがとても印象的な取材でした。

そして、移住希望者がその地域に住むことで、地元の方からもお互いのために、この地域で暮らしているんだということを思われているんだと思うと、この地域の未来は明るいのではないかと思っています。

渡辺則夫さんの今後の生き方もとても楽しみです。

取材後記

渡辺さんの立ち上げられた、レーベンは後継者を募集されておりました!
無事に決まったようで、新たな方に引き継がれることになったようです。

酪農ライフを始めてみませんか?農家民宿「レーベン」で牧場運営・チーズ製造販売の継業募集 

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