【東京→嶺北】元アンティーク家具職人が嶺北の山を選んだ理由とは?

実家は製材屋さんで、前職はアンティーク家具の修復をする職人

現在は高知嶺北で地域おこし協力隊として林業としながら活動中!

そんな「木」を軸としたキャリアを歩む男性・・・・。

それが、今回取材をした河野翼(こうのよく)さんです。

人生を通してずっと「木」に触れ合ってきた河野さんは、なぜ嶺北を活動の拠点として選んだのでしょうか?

河野さんのお話を通して、嶺北の新しい魅力が見えてきました!

営業という仕事には、ピンとこなかった

河野翼(こうのよく)さん
愛媛県宇和島市出身の40歳。営業マン、家具職人を経て、2019年5月より土佐町の地域おこし協力隊に就任。取材時は地域おこし協力隊2年目。林業振興事業として林業を学びながら、土佐町石原の集落活動センターの支援事業にも携わっている。

ーーー河野さんは愛媛県出身なんですね!

愛媛県の宇和島市というところで、実家は製材所を営んでいました。

そこに行けば家族の誰かしらはいるので、よく家の近くの製材所へ足を運んでいましたね。

一般的な子供よりは、木に触れる機会は多かったように思います。

ーーーそうなんですね!初めて就かれた職業は何でしたか?

就職氷河期で就活は難航しましたが、結果的に一般企業に就職しました。

そこでは、営業職をやっていました。

ーーーそうなんですね!!そこでのお仕事はいかがでしたか?

ですが、何だかピンと来なかったんです。

ーーーそれは、どういうことでしょうか?

実家の製材所で親の仕事を見てきたので、仕事というと手や体を動かしてお金をもらうもの、というイメージがあったんです。

なのでこれでお金をもらってもいいの…?という気持ちでした。

大工か家具職人の2択…木材を使う仕事を志す

家具職人時代のお写真

ーーーそれから、どのような道に進まれたのでしょう?

手や体を動かしてお金をもらう職業…と考えた結果、大工か家具職人の2択で迷ったんです。

こう考えるようになったのも、親が製材所を営んでいたことが影響していたように思います。

ーーー実家を継ぐという選択肢はなかったのでしょうか?

当時、製材業界は景気が良かったわけではありませんでした。

なので自分の父親の代で廃業することは決まっていたんです。

早々に父親から「ここはもう閉めるから、他で仕事を探してね」と言われました(笑)

ーーーなるほど…大工か家具職人はどちらを選んだのでしょう?

大工さんといえば重い部材を運んだり、体力勝負のイメージがありました。

体力に自信があった方ではなかったので、家具職人を選びました。

ーーー決意した後は、どのように家具職人を目指されたのでしょうか?

まずは岐阜県にある、家具職人を養成する学校に行きました。

そこで2年間修行して、タンスや食器棚、テーブル、ティッシュケースなど、大半のものは作れるようになったんです。

ーーーす、すごい…!家具職人とは具体的にどのようなお仕事なのでしょうか?

設計図に沿って木材を木取り、それらをパーツごとに切断・加工します。

それを組み立て・接着して、仕上げ・塗装して完成です。

家具職人から林業の世界へ

河野さんが修復した家具

ーーーなるほど!そこで家具職人という仕事にピンときたのでしょうか?

それが、そういう訳でもなく(笑)

将来、これで食べていけるのかと将来的な不安はありました。

あと、家具職人は自分のイメージとはだいぶ違っていました。

ーーーどのような部分が違っていたのでしょうか?

仕事の内容にもよるんですが…

図面の指示通りキッチリと「製品」を作る仕事なのだな、ということです。

そこに職人個人の感性が反映されることって少ないんですね。

もっと感性で「作品」を作るような仕事だと思っていました。

これは正直、意外でした(笑)

ーーーそれではまた別の職業を探されたのでしょうか?

いえ、たまたまご縁があって入社した会社で、アンティーク家具の修復をする仕事をしていました。

そこでは「このままずっとここにいて良いのだろうか」と思いつつも…。

お給料が良かったので、8年間はズルズルとそこで働きました(笑)

ーーーそうだったんですね(笑)お仕事ではどのような物を修理していたのでしょう?

仕事では、明治〜昭和初期くらいまでに作られた和ダンスなどを扱っていました。

国内で作られたので、当然国内の木材を使って作られています。

檜、杉、欅、栗、などが多かったですね。

ですが当時勤めていた会社では、修復には外国の木材を使っていました

品質が安定していたり、単純に安い、というメリットはあるのですが…。

私は、そこに違和感を感じていたんです。

ーーー確かに、近年は輸入材が増えてきていると聞いたことがあります。

そこから「今、国産材はどうなっているのか」に興味を持ち始めました。

当時、東京の会社で働いていたのですが、移住を考えていたんです。

でもどこに移るか決めかねていて…。

そんな時に全国47都道府県から一人づつ、面白いことをやっている人に来てもらって、これからの未来について話し合おうぜ、というイベントがあったんですね。

ーーーそこでは、どんな学びがあったのでしょう?

私は移住に関してのヒントがないかなと思って来ていたのですが、たまたま林業の話もしていたんです。

そこでは、林業でも食べていけるという話をしていました。

それを聞いて、「今って林業で食べていけるの!?」と驚き、林業に対する興味が一気に高まりました。

そこで林業を実際に見てみたい、と思うようになったんです。

嶺北を知ったきっかけは…藤川社長との出会い

河野さんが参加したワークショップ

ーーーそこからはどんな行動を起こされたのでしょう?

自伐型林業という種類の林業を教えてくれるワークショップに参加しました。

そこでは単独では難しいかもしれないけど、小規模な林業と家具職人の技術を合わせれば食べていけるのではないかと思いついたんです。

ーーーそこで嶺北という選択肢が出てきたのは何故ですか?

愛媛県出身ということもあり、次の職場は関西か四国がいいと思っていたんです。

その時、たまたまワークショップの講師として来られていた藤川工務店の藤川社長との出会いがありまして…。

藤川社長との会話を通して、高知県の嶺北に興味を持ち始めたんです。

ーーーそうなんですね。嶺北に移住するまではどういった経緯がありましたか?

嶺北出身の人からも、嶺北は良いところだと聞いていました。

そこで嶺北に足を運ぶことにしたんです。

れいほく田舎暮らしネットワークというNPO法人に連絡をして、大豊町や土佐町など嶺北地域を見て回りました。

ーーーそこで土佐町を選ばれた理由は何だったのでしょうか?

たまたま、土佐町で林業の地域おこし協力隊の募集があったんです。

もとは林業に興味があったので、ピッタリだと思い参加を決めました。

地域おこし協力隊として林業を始める

林業の様子

ーーー石原に住んでみて、いかがでしたか?

人がいいですね。

田舎特有のジメッとした感じが無いというか…ウェルカムな雰囲気なんです。

ーーー例えば、どのようなところでしょうか?

引っ越した次の日に、歓迎会を開いてくれたり(笑)

そういった暖かい雰囲気があるので、今まで人間関係で嫌な思いをしたことはありません。

ーーーほっこりしますね。地域おこし協力隊として、どのような活動をされていますか?

主な活動としては、石原地区で小規模林業について勉強しています。

また民家の横に、植えられた当時は防風林として使っていたのが、現在は大きくなりすぎている木の伐採なども行っています。

大まかに言えば、地域の山林の管理をさせて頂いている状態です。

ーーー小規模な林業とはどういうものなのでしょうか?

大きな規模で広い範囲の木を大量に切るのではなく、少人数で広範囲の木を少しずつ間伐していく林業のことです。

現在は他のメンバー2人と行っています。

ーーー活動のやりがいとは、どんなところでしょうか?

作業の前と後とでは、景観が明らかに変わります

それをお客さんと見て、喜んでもらえた時はやりがいを感じますね。

ーーー最後に、地域おこし協力隊を卒業された後はどのような活動をしたいと考えていますか?

もともと木工の職人だったので、小さい林業を続けつつ木工の方もやりつつ。

こうした2つの軸で、仕事を回していければと思います。

林業は秋冬に忙しくなりますので、木工は春夏に行うといったサイクルができれば良いなと考えています。

ーーーなるほど!今回はありがとうございました!

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